中医臨床 通巻146号(Vol.37 No.3)
商品コードc146
特集/新安医学――中医学の源流
2016年 9月20日発行
2016年 9月20日発行
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魅力溢れる地域流派の世界
【特集】新安医学――中医学の源流
中国安徽省は「北華佗,南新安」と称賛され,数多くの名医を輩出した地域として知られる。華佗は言うまでもなく後漢代末に活躍した伝説的な名医で,彼は安徽省北端の亳州市の出身である。一方の新安(徽州ともいう)は安徽省の南端に位置し,江西省や浙江省と隣接する地域の古称で,現在の徽州歙県・休寧・績渓・黟県・祁門,および江西省の婺源に当たる。新安では南宋代から明清代にかけて800人を超す医家を輩出し,800冊を超す医学・薬学書を残している。「天下の名医は新安より出ず」といわれるゆえんである。
新安を名医輩出の揺籃たらしめたのは,宋代に起こった靖康の変によって中原から大量の住民が南へと移動した際に,新安が官吏の一家や名家の一族,文化人などの格好の避難場所になったことと関係する。それによってこの地域は儒者の密集地帯となり,徽州文化や新安医学を開花させることになる。 この儒者の密集地帯はやがて「程朱理学の故郷」とまで称されるようになる。そして「良相にならざれば,良医となれ」という言葉の通り,多くの知識人が官吏の道から医師へと路線を変更していく。 新安医学が隆盛を極めるのは明清代である。たとえば汪機の「営衛一気説」,孫一奎の「動気命門説」,呉澄の「外損致虚説」,程国彭の「医門八法説」,鄭梅澗父子の「養陰清肺説」,余国珮の「燥湿為綱説」など,新安医家の独創した学術思想や,汪機の「新感温病説」,方有執の「錯簡重訂説」,程国彭の「八字弁証説」,汪昂の「暑必兼湿説」など,過去の医説を新安医家が継承発展させた学術思想は数多い。
本特集では,新安医学研究の第一人者であり,自身も新安王氏医学の6代目継承者である王鍵教授(安徽中医薬大学学長)を訪問して話をうかがったインタビューのほか,新安医学の医家や学説,名方について紹介する。さらに徽州文化のバックボーンとなった徽州理学が新安医家に与えた影響についても紹介する。
【特集】新安医学――中医学の源流
中国安徽省は「北華佗,南新安」と称賛され,数多くの名医を輩出した地域として知られる。華佗は言うまでもなく後漢代末に活躍した伝説的な名医で,彼は安徽省北端の亳州市の出身である。一方の新安(徽州ともいう)は安徽省の南端に位置し,江西省や浙江省と隣接する地域の古称で,現在の徽州歙県・休寧・績渓・黟県・祁門,および江西省の婺源に当たる。新安では南宋代から明清代にかけて800人を超す医家を輩出し,800冊を超す医学・薬学書を残している。「天下の名医は新安より出ず」といわれるゆえんである。
新安を名医輩出の揺籃たらしめたのは,宋代に起こった靖康の変によって中原から大量の住民が南へと移動した際に,新安が官吏の一家や名家の一族,文化人などの格好の避難場所になったことと関係する。それによってこの地域は儒者の密集地帯となり,徽州文化や新安医学を開花させることになる。 この儒者の密集地帯はやがて「程朱理学の故郷」とまで称されるようになる。そして「良相にならざれば,良医となれ」という言葉の通り,多くの知識人が官吏の道から医師へと路線を変更していく。 新安医学が隆盛を極めるのは明清代である。たとえば汪機の「営衛一気説」,孫一奎の「動気命門説」,呉澄の「外損致虚説」,程国彭の「医門八法説」,鄭梅澗父子の「養陰清肺説」,余国珮の「燥湿為綱説」など,新安医家の独創した学術思想や,汪機の「新感温病説」,方有執の「錯簡重訂説」,程国彭の「八字弁証説」,汪昂の「暑必兼湿説」など,過去の医説を新安医家が継承発展させた学術思想は数多い。
本特集では,新安医学研究の第一人者であり,自身も新安王氏医学の6代目継承者である王鍵教授(安徽中医薬大学学長)を訪問して話をうかがったインタビューのほか,新安医学の医家や学説,名方について紹介する。さらに徽州文化のバックボーンとなった徽州理学が新安医家に与えた影響についても紹介する。
◆本号の主な内容
【特集/新安医学――中医学の源流】
■[巻頭インタビュー]八綱弁証の再考を(吉冨誠)
■[教えて!中薬学]加熱炮製と薬性(石井尊子)
■[医療用漢方エキス剤の中医学的理解とその運用]和解法(渡邊善一郎)
■[漢方薬と鍼灸治療のコラボ]鍼薬同効から考える漢方薬と鍼灸治療のコラボレーションの意義(関口善太)
■[近況雑感]現代中医鍼灸はどのように日本に導入されたのか?(浅川要)